2014年のイベント
新しい催し物ほど上に来ます
Die neueste Veranstaltung kommt ganz oben.
The newest event comes above.
赤タイトルは石川日独協会のイベント(共催を含む)です
Veranstaltungen in rot sind unsere eigenen, inbegriffen auch Mitveranstaltungen.
Events in read are our own events, co-sponsered is also included.
黒タイトルは後援・支援団体や石川日独協会会員やその他のドイツに関するイベントです
Veranstalungen in schwarz sind die von anderen Organisationen.
Events in black are those of other organisations.
イベント情報をお持ちのかたは情報を事務局にお願いします
2014年の新年挨拶
石川日独協会の皆様、新年おめでとうございます。
シュタンツェル前ドイツ大使と前大阪神戸総領事で現在のエクアドル大使のオルブリヒ様より、素晴らしい年賀状が送られてきました。外交官と日本を去った後も、長い友情を育くんで行けることをとても喜んでいます。また、ラオンハイムの市長ユーヘ様より、クリスマス・カードが届きました。深い人間関係を国境を越えて築くことは、相互理解と国際平和のためにとても大切です。そのような活動の一端を担えますことは、石川日独協会という会が活発に活動しているから可能なのです。石川日独協会に参加することに、参加者が意味を見いだして下さらなければなりません。
このことを念頭に、今年も様々なプログラムを立ち上げます。民間外交を行っているのだという自覚を持って、日独の親善と相互交流を今年も促進していきたいと願っています。また、他の日独協会との横の連携を進め(横浜、大阪、神戸、豊橋、東京、新潟、島根、大津などと連絡を密にしています)、地域の日独交流のお手伝いをし、また石川日独協会の会員の皆様と市民のために、できるだけ質の高い催し物も行いたいと思っています。最後になりましたが、今年一年が皆様に取って素晴らしく、意味深い物となりますよう、心からお祈り
申し上げます。
会長 楠根重和
Hiermit möchte ich den Mitgliedern der JDG Ishikawa glückliches Neujahr
wünschen. Voriger Botschafter Dr. Stnazel und voriger Generalkonsul und
jetziger Botschafter in Equador Dr. Olbrich haben mir Weihnachtsgrüsse
geschickt. Nachdem sie Dienst in Japan beendet haben, haben sie an uns
gedacht. Das freut mich sehr. Bürgermeister Juhe schickt mir auch eine
Weihnachtskarte. Die tiefe Freunschaft über Staatsgrenze ist äußerst wichtig
für gegenseitige Verständigung und den internationalen Frieden. Die JDG
Ishikawa kann dazu Beitrag leisten, weil sie aktive ist. Wenn die Teilnehmer
daran keine Bedeutung findet, verliert die Langlebigkeit auch an dem Sinn.
Dessen bewusst habe ich vor, verschiedene Programme zu planen , die japanisch-deutsche
Freundschaft zu vertiefen und Austausch voranzutreiben nicht nur für unsere
Mitglieder sondern auch für Bürgerinnen und Bürger. Ferner möchte ich qualtitativ
hohe Veranstaltungen anbieten in Zusammenarbeit mit den Deutschen Vertretungen
und den JDGs in den anderen Gebieten (Yokoham, Osaka, Kobe, Toyohashi,
Niigata, Shimane und Otsu). Last but not least, möchte ich Ihnen allen
viel Erfolg und Glück im Neujahr wünschen!
Shigekazu KUSUNE
Dear membership of JGS Ishikawa, I will congratulate you a Happy New Year!
Former ambassador Dr Stnazel and former Consul General and incumbent ambassador
in Equador Dr Olbrich have sent me chrismas cards. I am very pleased to
take notice of it, after they have finished their offical service in Japan,
they remember further of us. Mayor Raunheim, Mr Juhe sent me also a chrismas
card. The intimate friendship beyond national borders is very important
for mutual understanding and international freedom. Our JGS can make contribution
to this purpose, as far as we are active. We need to persuade the participants
of the meaning. I will organize many events in keeping in mind that we
do foreign policy on the citizenary level. I will promote friendship and
mutual exchange between Japan and Germany. In cooperation with other JGSs
in other prefectures (Yokoham, Osaka, Kobe, Toyohashi, Niigata, Shimane
and Otsu), we try to heighten the level of our events. Last but not least,
I wish you a successful and happy New Year!
Shigekazu KUSUNE
クリスマスコンサートとパーティ
Weihnachtskonzert und Weihnachtsparty, Christmas concert und Christmasparty
2014年12月21日(日)
今年も,石川日独協会の恒例のクリスマス・コンサートを木戸博也理事のご厚意で開催できました。私たちのために練習して演奏して下さることは,石川日独協会の会員にとって名誉なことです。指揮者木戸先生の絶妙な語りに耳を傾け,演奏を聴き,その後演奏者を交えてクリスマス・パーティで大いに語り合いたいと思います。
クリスマスコンサート 誰でも無料で自由参加できます
開場 17時30分
コンサート 18時00分より19時
場所 野々市中央公民館
駐車場はたくさんあります。
住所〒921-8815 野々市町本町2-1-20
電話 248-0521
駐車場は
この地図では、上の右側の斜線が入っているところです。
野々市中央公民館の横にも駐車場がありますがそこには
止めないでくださいと言うことです。
クリスマス・パーティ 19時10分より21時
参加者は予約が必要です 会費 3000円飲み物付き
パーティ申し込み締め切り 12月19日17時必着
参加希望の方は次のところにメールで申し込んで下さい。
石川日独協会公式メールアドレスishikawanichidokukyokai@gmail.comまで
事務局の足立が1年間金沢を離れるので10月以降の郵便や電話による連絡先は
会長宅にお願いします。
石川日独協会連絡臨時担当:楠根重和
〒920-0813 金沢市御所町1丁目373番地
電話:076-251-7656
Party 会場 広島風 お好み焼き ロースト
野々市中央公民館のすぐ近く、20メートルぐらいです、地図をご覧下さい。
当日この店は貸し切りにしてあります
住所 野々市市本町2丁目1−21
電話 248-6032
コンサート会場とクリスマスパーティ会場は
https://plus.google.com/105694330611022190304/about?gl=jp&hl=ja
講演
2014年11月24日
「包摂的非実証主義(Inklusiver Nichtpositivismus)について」
報告者: ロバート・アレクシー(Prof. Dr. Dr. h.c. mult. Robert Alexy)(ドイツ・キール大学法学部)通訳付き
金沢大学基礎法研究会との共催行事
通訳は足立理事が行います。
セミナー概要:Robert Alexy教授(1945年-)はドイツの非常に著名な公法学者・法哲学者です。今回のテーマ「包摂的非実証主義(Inklusiver Nichtpositivismus)」とは、非法実証主義(いわゆる自然法論)の一種です。
法実証主義とは、(1)手続きを経て制定されており、(2)法に従うことを強制する実力(裁判所や警察などの国家権力)をともなっている法であれば、(3)たとえ内容が不正であっても「法」である、という立場です。これに対して非法実証主義者は、(3)の部分を否定し、内容が不正であれば法ではない、と主張します。Alexyはこの非法実証主義の立場をさらに分類し、(1)(2)の要素を考慮せず、不正な法は「常に」法ではないことを主張する排他的実証主義(Exklusiver Nichtpositivismus)と自らの立場を区別し、(1)(2)の要素も法の必須の条件として包摂する「包摂的非実証主義」の立場を採用しています。Alexyは近年、このテーマに精力的に取り組んでおり、今回のセミナーでも、世界の多くの法実証主義者との議論をふまえた、彼の最新の考えに触れることができると思います
(文責:足立英彦)。
一般市民の方も大歓迎です。入場無料、参加の申し込みも必要ありません
*本セミナーは金沢大学基礎法研究会との共催です。
*本セミナーは日本学術振興会より「外国人研究者招聘事業」として補助を受けて実施するものです日時:2014年11月24日(祝)15:00-17:00
会場:石川四高(しこう)記念館多目的利用室3
http://www.pref.ishikawa.jp/shiko-kinbun/
金沢市広坂2-2-5
元国連全権大使・前在独日本大使による
講演会と歓迎会演会
石川日独協会と石川EU協会の共催
Vortag von Herrn Dr. Takahiro Shinyo, dem ehemaligen UNO-Botschafter und
vorigem japanischen Botschafter in Deutschland/ Lecture by Dr Takahiro
Shinyo, ex-UN-ambassador and former ambassador in Germany/
co-hosted by Japanese German Society Ishikawa and Japan-EU Association
Ishikawa
11月12日(水)18時より20時
講演会
講演会への参加は無料です。申し込みも必要としません。ただし歓迎パーティに参加する人は事前の申し込みが必要です。
1.講演日時:11月12日(水)18時より19時30分
2.講 演 者 : 神 余 隆 博(しんよ たかひろ) 関西学院大学 副学長、前駐ドイツ大使
3.講演題目:「21世紀における日独の責任」
4.講演会場 金沢都ホテル 7階 鳳凰の間(東)
都ホテルは金沢駅前、の電話は261-2121です
この講演会は霞関会からの補助を頂いております。
講演会は会員外の一般の方にも開かれており,どなたでも参加できます。
神余前大使歓迎パーティ
歓迎パーティも誰でも参加できますが、事前の申し込みが必要です。
歓迎パーティ 講演会終了後 19時30分よりより21時30分まで
歓迎パーティ会場 金沢都ホテル 7階 鳳凰の間(西)
歓迎パーティ参加費用 6000円(食事と飲み放題を含む)
歓迎パーティ申し込み締め切り 11月10日17時必着
参加希望の方は次のところにメールで申し込んで下さい。
石川日独協会公式メールアドレスishikawanichidokukyokai@gmail.comまで
事務局の足立が1年間金沢を離れるので10月以降の郵便や電話による連絡先は
会長宅にお願いします。
石川日独協会連絡臨時担当:楠根重和
〒920-0813 金沢市御所町1丁目373番地
電話:076-251-7656
神 余 隆 博前大使・副学長の経歴はWikipediaによれば次のようです
香川県仲多度郡琴平町出身。大阪大学法学部在学中に外務公務員採用上級試験に合格し、1972年(昭和47年)阪大を卒業し外務省に入省した。
- 1973年(昭和48年) ドイツゲッティンゲン大学に留学
- 1975年(昭和50年) 駐スイス大使館、駐中国大使館勤務
- 1987年(昭和62年) 駐独大使館参事官
- 1989年(平成元年) 国際連合局軍縮課長
- 1991年(平成3年) 国際連合局国連政策課長
- 1993年(平成5年) 大阪大学教授に出向
- 1996年(平成8年) 駐独公使、大阪大学博士(法学)の学位を取得(博士論文「新国連論国際平和のための国連と日本の役割」)
- 1999年(平成11年) 欧亜局審議官
- 2001年(平成13年) 欧州局審議官
- 2002年(平成14年) デュッセルドルフ総領事
- 2005年(平成17年) 外務省国際社会協力部長
- 2006年(平成18年) 国際連合日本政府代表部特命全権大使
- 2008年(平成20年)8月 ドイツ連邦共和国駐箚特命全権大使
- 2012年(平成24年)3月 退職
- 2012年(平成24年)4月 関西学院大学副学長・国際戦略本部長・学長直属教授
- 2013年(平成25年)2月 特定非営利活動法人Malaria No More Japan理事長
外交官のかたわら、以下の大学で教壇に立ち、国際関係の講座を持った。
- 1992-96年 立命館大学大学院(国際関係研究科)客員教授
- 1993-96年 大阪大学教授(法学部および大学院国際公共政策研究科)
- 1999-2001年 東京大学大学院客員教授(総合文化研究科)
- 2003年 デュッセルドルフ大学客員教授(夏学期)
- 2012年- 関西学院大学教授(副学長)
神余前大使・副学長の著書
- 『多極化世界の日本外交戦略』(朝日選書)
- 『国際危機と日本外交』
- 『国際平和協力入門』
シンポジウム 格差と貧困をめぐる日独比較
Symposium über Vergleich zwischen Japan und Deutschland im Bezug auf Ungleichheit
und Armut
symposium on income dispariteis and poverty, Japan and Germany in comparison
11月7日(金)14時より17時30分 楠根が通訳します どなたでも自由に参加できます
11月4日にドイツのガウク大統領がルクセンブルクのPierre Werner 研究所でフランス・ドイツ・ルクセンブルクの和解、そしてヨーロッパの統一の大切さについて講演をなさっています
その中で、ヨーロッパ懐疑論者に疑問を投げかけています。
全文はhttp://www.bundespraesident.de/SharedDocs/Reden/EN/JoachimGauck/Reden/2014/141104-KulturinstitutPierreWerner.html
で読むことができます。
劇団アンゲルス公演
2014年11月1日 15:00から2014年11月4日 21:30
劇団アンゲルス& KAZARI@DRIVE 公演 《フェスタバイカル》
=石川県ロシア協会共催=
「どん底」 M・ゴーリキー = 原作
岡井 直道 = 台本・演出 舞台監督・照明:本庄亮 美術:藤本匠
◆ 開演:11月1日(土)15:00、19:30
11月2日(日)17:00
11月3日(祝)16:00
11月4日(火)20:00
◆ 会場:An Studio...
EUフォーラム
EU Forum
主催 石川EU協会
共催 : 石川日独協会、金沢日仏協会、北陸ベルギー友好協会、 福井日仏協会、石川県高等学校文化連盟英語部、
石川県高等学校教育研究会英語部会
後援 : 駐日欧州連合代表部(EU大使館) 、
駐日フランス大使館、
駐日ドイツ連邦共和国大使館
駐日ベルギー王国大使館、
駐日ルクセンブルク大公国大使館、
金沢商工会議所
2014年10月18日(土)
「種々の分野における日欧の価値観の違い、その共有」
フォーラム
14:00~14:15:開会あいさつ
14:15~14:55:基調講演・アルブレヒト・ロタハー公使参事官(ドイツ国籍)・・駐日欧州連合代表部
14:55~15:05:休憩
15:05~15:25:助言・サビーヌ・シオルティノ政務参事官・・・・駐日フランス大使館
15:25~15:45:助言・シュテファン・メプス公使・・・・駐日ドイツ連邦共和国大使館
15:45~16:05:助言・クリストフ・ド・バッソンピェール公使参事官・・・・駐日ベルギー王国大使館
16:05~17:25:質疑応答
17:25~17:30:閉会あいさつ
その他
主催および共催団体会員と招待者による懇親パーティ
同日夕:18:00~20:30(金沢エクセルホテル東急)
懇親会参加費用は飲食すべて込みで6000円です。
講演会及び懇親会 申込先:石川EU協会
920-1192 金沢市角間町 金沢大学人間社会学域経済学類
西嶋研究室気付
Tel: 076-264-5428
E-mail: ishikawaeu@gmail.com
ドイツ再統一記念レセプション
Party anlässlich des Tages der Wiedervereinigung
Party for Reunification of Germany
2014年10月3日
時間 18時30分から20時30分
場所 帝国ホテル大阪
楠根が対応した。
インゴ・カルステン総領事はドイツの再統一に多くの国が手助けをしてくれたこと、その国の一つとして日本があることも強調していた。大阪とハンブルクは交流都市なので、ハンブルクを表敬していた大阪市の代表者達、ドイツと交流している兵庫県や大阪の他の自治体の代表者も出席していた。
上の写真は帝国ホテルでのカルステン総領事の挨拶。
親睦を兼ねた日帰り登山
Bergsteingen/Mountain Climbing
2014年9月20日(土) 家倉理事企画 福井県夜叉が池登山
集合場所 杜の里イオンの一角にある酒店やまやの駐車場
集合時間 7時 車はこちらで用意いたします。昼食の用意と飲み物の用意を各自お願いします。
参加申し込み締めきり 車の手配の関係で,申し込み期限は9月15日とします
参加希望の方は次のところに申し込んで下さい。
石川日独協会公式メールアドレスishikawanichidokukyokai@gmail.com
もしくは石川日独協会連絡担当:足立英彦
〒920-1192金沢大学人間社会学域法学類
電話:076-264-5383。
講演会
Vortrag/Lecture
『金沢区工業学校設立におけるワアグナーと
納富介次郎の役割について』
Wagner und Kaijiroh Nohtomis Rolle beim Errichten der Technischen Fachschule
in Kanazawa/ Wagner and Kaijiroh Nohtomi's Roll to establish the technical
advanced school in Kanazawa
2014年9月10日(水曜日)
日本が西洋に開かれたときに、日本の工芸が西洋でブームになり、それが輸出産業になることで、北陸の地でも、工芸関係の技術教育のための学校が作られるようになりました。この当たりの事情について濱氏に講演を依頼しました。一般市民の方の参加も大歓迎です。入場無料ですので、気楽にどうぞ参加下さい。
この講演会は
公益財団法人金沢交際交流財団から助成金を受けて実施いたします。
講師
濱 太一
講演趣旨
ドイツ、ハノーバー生まれのワアグナーが、明治元年長崎に石鹸工場を創設するために来朝します。その後、佐賀藩鍋島直正に見いだされ、有田焼の改良に取り組みます。
任期を終えた際、彼の化学技術や知識を必要とした大学南校が招聘し、雇い教師として迎えます。
明治6年にウィーン万博が開催されることになり、明治政府の要請に応じ尽力します
この時、後に金沢区工業学校を創設する納富介次郎と会います。。
万博が終了するとワアグナーは、納富に現地の製陶所を紹介し研修させます。
納富は、こ れまで日本になかった石膏型製陶法を修得し帰朝します。
これを機に、ワアグナーと納富の関係が深まってゆきます
そして、日本で初めての公立の工業学校の創設が実現します。。
二人の関係と学校設立がどのように結びついていったのかをお話ししたく思います
講師経歴
平成9年金沢大学大学院教育学研究科修了 技術教育専攻
所属会 「日本産業技術教育学会」
論文 「納富介次郎と巡回教師」
「中等教育史研究」
県立高校教諭、現在学校外研修中
濱太一著 工業教育思想の研究 明治初年の納富介次郎と金沢区工業学校 橋本確文堂 2012年
会場
石川四高記念文化交流館の多目的利用室3
時間 開場 6時30分
講演開始 7時00分 講演終了9時00分(質疑応答も含めて)
第32回ライン博士顕彰会
8月25日(月)第32回ライン祭 ライン博士顕彰碑前
記念講演会 白山恐竜パーク白峰(予定)
上記はライン博士顕彰会の行事で、楠根は顧問をしており、第32回ライン祭誌には石川日独協会のドイツ語研究会のチームが翻訳した論文が記載される。
式典 午前9時15分から9時45分
ライン博士顕彰碑前(旧桑島の里)雨天の場合は手取総合開発記念館
記念イベント
式典終了後11時30分頃まで
会場 白山恐竜パーク白峰
講演会 館内レクチャールームで松本涼子氏(神奈川県立生命の星・地球博 物館学芸員)による講演
大浜先生、中山先生、ご参加有り難うございました。当日配布された雑誌『第32回ライン祭』にユルゲン・シュヴァルム博士著「ヨハネス・ユストゥス・ライン(1835ー1918)、一人のドイツ人地理学者日本を旅する(1873-1875)」石川日独協会翻訳チームによる合同訳 翻訳チーム(榎本桃也、大浜和憲、楠根重和、中屋一臣、西嶋義憲、前川治郎)と「ライン博士墓石訪問顛末記」ライン顕彰会顧問 楠根重和が掲載されています。
ライン祭の日の朝刊に掲載された北陸中日新聞の記事
環境首都ドイツ・フライブルクからの報告
8月23日(土)
午後1時半から2時半
場所 石川産業展示館
詳しくはポスター参照
ドイツ旅行報告会と来沢して日本社会を研究している
ドイツ人女性InaとAnaによるビデオ芸術の中間発表
Reisebericht/Report on the Trip to Germany
Vorstellung der Videokunst von zwei jüngen deutschen Künstlerinnen/ Presentation
of video art by two jung German artists
スライドを使って、今回のドイツ旅行について報告します。その前にInaとAnaによる日本人になるプロジェクトの中間発表があります。
報告者 楠根重和、InaとAna
日時8月20日(水)
場所 フュージョン21
時間 7時より
費用 食事プラスワンドリンク 2000円
参加申し込み締めきり8月18日まで
石川日独協会公式メールアドレスishikawanichidokukyokai@gmail.com
もしくは石川日独協会連絡担当:足立英彦
〒920-1192金沢大学人間社会学域法学類
電話:076-264-5383
高校生や大学生、金沢市の職員の参加もあり、参加者23名の楽しい会になりました。講演会の様子。
Black Media アンゲルス韓国公演の・プレ公演
2014年8月14日15日
問合せはアンゲルスへ
総会と懇親会
Generelles Treffen und Geselliges Abend/
General Meeting and Party
2014年7月23日(水曜日)総会と懇親会
場所 キャッスルイン金沢
〒920-0852 石川県金沢市此花町10−17
電話 0
76-223-6300
地図
参加費用 4000円。
総会・懇親会申し込み締め切り 7月20日
開場18時30分
総会 19:00~19:30
懇親会 19:30~21:00
総会と懇親会の参加申込先
石川日独協会公式メールアドレスishikawanichidokukyokai@gmail.comもしもしくは石川日独協会連絡担当:足立英彦
〒920-1192金沢大学人間社会学域法学類
電話:076-264-5383
総会の様子 県国際交流課中山隆志氏の挨拶 懇親会の様子。早瀬名誉会長の軽妙なスピーチ
理事会
Sitzung der Vorstandmiglieder
Meeting of Board Members
2014年7月15日(火曜日) 理事会と運営委員会
場所 フュージョン21
時間 7時より
理事会終了後運営委員会
費用 食事プラスワンドリンク 2000円
理事会参加申込先
欠席される理事は委任状を出して頂くことになります
石川日独協会公式メールアドレスishikawanichidokukyokai@gmail.comもしもしくは石川日独協会連絡担当:足立英彦
〒920-1192金沢大学人間社会学域法学類
電話:076-264-5383
事業報告、会計報告、事業計画、会計予算すべて理事会で承認されました。また新運営委員に大島さんが承認されました。これらを受けて、23日の総会で承認を求めることになります。
新たに今年度中に霞関会への講演依頼と会員との登山や料理教室なども提案されています。計画ができあがればホーム・ページやメールで案内されます。
理事会の様子
ドイツへの旅
Deutschlandsreise/Trip to Germany
旅行は締め切りました。会長を入れて9名の申し込みがありました。どうも有り難うございました。今回の旅行はボンの独日協会の有志の方、ラオンハイム市、ボン大学の協力を得て、普通の観光では味わえない旅行になると思います。石川日独協会関係者は4人、ライン博士顕彰会関係者5人ですが、会長は同時にライン博士顕彰会顧問でもありますので、ライン博士顕彰会関係者は6人とも読めます。
6月9日18時 結団式 白峰温泉ホテル八鵬
6月16日に白山市市長表敬訪問
旅行日程 Reiseplan/ Itinerary
6月19日 出発名古屋中部国際空港 9時35分 ルフトハンザ機LH737でフランクフルト直行便 同日15時フランクフルト着
アメリカのマンハッタンの向こうを張って、マイン川にあるのでマイン・ハッタンと呼ばれるドイツ唯一の高層建築群。ここにヨーロッパ中央銀行が置かれている。ゲーテの生まれた町で,ゲーテの生家もある。ここではアッペルヴォイ(フランクフルトの方言でリンゴ酒。とても臭いです。飲みつけると病みつきになるそうです)。この町には民間の研究所、ゼンケンベルク研究所があります。ここの市民研究者としてライン博士は学者の道を歩みました。ライン博士はその後、白峰村で化石を見つけて,送った相手が、この研究所の古生物担当のガイラー博士でした。ライン博士は来日前にこの研究所の会長を二度勤めます。その後、マールブルク大学地理学教授、ボン大学の地理学教授として、学者の道を歩んでいきます。このような民間の研究者が教授になれたのは、まだ学問的調査としては手つかずの日本研究でした。このゼンケンベルク研究所は現在では、フランクフルト大学の付属研究所となっています。ドイツ最大の古生物、つまり化石の博物館です。
到着後市内に繰り出し軽食を取る。
フランクフルト泊
6月20日 列車でフライブルクへ フライブルク見学
写真はフランクフルト駅から新幹線に乗るところ
人口22万人。大学都市。かほく市の西田幾多郎とマルティン・ハイデッガーの関係で書くと、ハイデッガーはナチ政権下において、フライブルク大学の学長で自らナチ党員でナチに協力した。環境都市。見て頂きたいのはマイカーを排除した都市、信号のない都市です。
以下はWikiの記述
環境政策 フライブルクの主な環境政策は、廃棄物・リサイクル政策、自然エネルギー政策、交通政策、都市計画・景観政策などである。きっかけは1970年代に酸性雨によってシュヴァルツヴァルトが枯死の危機に瀕し、なおかつ近郊のヴィールに原子力発電所を建設する計画が持ち上がり、原発反対運動が起きたのがきっかけであった。1975年にフライブルクに設立されたBUND(ドイツ環境自然保護連盟)などが中心となって、フライブルクはシュヴァルツヴァルトを守るために、エネルギーでは脱原発・自然エネルギー推進をとり、大気汚染対策として自動車依存からの脱却と公共交通・自転車の強化を採用した。自然エネルギーでは太陽光発電の普及を中心にしている。交通面では都心への自動車乗り入れを制限し、以前より走っている路面電車(LRT) を強化すべく、郊外部への延伸工事を行い、パークアンドライドを整備するなどの諸政策をとった。また、旧フランス軍駐留地である市南部のヴォバーン (Vauban) 地区では、フォーラム・ヴォバーンというNPOの活動により、エコロジーを重視した団地が造成されている。
フライブルクの環境政策は単に環境対策上の成果にとどまらず、経済面でもプラスの効果をもたらした。まずは太陽光発電をさらに推進するために、太陽光発電の研究機関を誘致した。この研究所が中核となり、太陽光関連企業がフライブルクに立地するようになり、フライブルクはドイツにおける太陽光発電の重要な開発・生産拠点となった。太陽光発電はフライブルクに新たな雇用を生み出したのである。
また、環境政策の先進事例と紹介されたため、各国から視察が相次ぎ、視察団向けに環境ツアーが組まれるようになった。すなわち、環境政策も一つの観光資源として、観光産業としての役割も果たしている。市役所やNGOなどフライブルクの各機関ではあまりにも視察が増加したために、現在では多くの機関への視察やヒアリングは有料となっている。
交通政策 フライブルクは、1984年にドイツで初めて「環境定期券」を導入した都市である。その特徴は、定期を所有している人が市内の路面電車とバスの全路線を利用でき、日曜日には1枚で家族全員が利用できる点にある。当時のドイツでは、この種の全路線定期は購入者本人しか利用できず、そのため写真付きの定期券であるのが通例であった。スイスに近いフライブルクは、チューリッヒやバーゼルを参考に、このような定期券の導入に踏み切った。さらに、1991年には、1市2郡を走る14交通会社の全路線を利用できる「レギオ環境定期券」となった。その後、この種の定期券がドイツ各地に普及したため、1996年に「レギオカルテ」と改称されている。
フライブルクの都心はトランジットモールが整備され、路面電車やバスの利用が便利なので、公共交通が広く市民に利用されている。路面電車の路線を乗り換えるのに便利なように、都心のベルトルズ・ブルネン停留所では、複数路線の電車が同じ時刻に到着して数分間停車することとなっていて、利用者は自由に乗り換えることができる。
フライブルク大聖堂、新旧市庁舎、フライブルク大学などが集まる旧市街地には、マイカーが入るのを規制し、裏通りに商品の運搬車などの業務用車両が入ることだけが認められている地区がある。もちろん、そのすぐ外側の都心環状線まではマイカーで来て、車を駐車することも容易である。都心環状線周辺には、大規模な駐車場が何か所も整備されており、全体で4,000台以上の駐車容量がある(1998年のデータによる)。また、駅の跨線橋の脇には、1,000台の自転車を収容できる有料自転車ステーションが設置されている。ただ、この台数では不足しているようで、駅前の道路脇などに、所狭しと多数の自転車が置かれている。
松山市と姉妹都市(1988年)。行政の交流が切っ掛けである。次の写真は,町の中心にある市役所と自家用車が一切走らない路面電車。
ホテルが市内の中心だったので、教会の周りの市場で様々な果物、スグリやイチゴやサクランボやソーセージなどを買い求め昼食とする。教会の塔に登る。またワインの問屋でカイザーシュトールのわいんを瓶で買い求め、そこで痛飲する。
フライブルクのマーケット フライブルクの教会の塔
フライブルク泊
6月21日 早朝列車でスイス、ルツェルンへ、
Wikiによると スイス中央に位置するルツェルンは、フィアヴァルトシュテッテ湖(ルツェルン湖)とピラトゥス山やリギ山に囲まれたスイス有数の観光都市である。チューリヒとインターラーケンを結ぶ幹線上にあり、ロイス川が流れる町中は見どころも多い。
カペル橋:14世紀にロイス川に作られたヨーロッパ最古の屋根付き木造の橋。城砦の一部として建造された。八角形のヴァッサートゥルム(水の塔)とともにルツェルンのシンボルになっている。橋の天井部分には、ルツェルンとスイスの歴史やルツェルンの守護聖人にまつわる伝説などを描いた絵が架けられている。1993年8月の火災により、橋の大部分が焼失したが、1994年4月に再建された。カペル橋に繋げられた八角形のヴァッサートゥルム(水の塔)はカペル橋より早い時期の1300年頃に建てられたもの。もともと見張り台として建てられたが、その後、文書や宝物の保管庫、牢獄、拷問部屋などに利用された。
ライオン記念碑:1792年、フランス革命時にパリのチュイルリー宮殿でブルボン王家を守り、勇敢な死を遂げたスイス傭兵を偲んで作られた記念碑。ルツェルン市内、ホーフ教会近くの砂岩の岩壁を削って作られた。
シュプロイヤー橋:カペル橋同様、市壁の一部としてロイス川にかかる屋根付きの橋で、建造は1408年。17世紀のカスパール・メグリンガーの制作による「死の舞踏」の板絵が飾られている。
ピラトゥス山(2132m)
フィアヴァルトシュテッテ湖(ルツェルン湖)に面するアルプナッハシュタットとピラトゥスの山頂駅となるピラトゥス・クルムを結ぶ登山鉄道は、傾斜度最大48%(480パーミル)の世界一急勾配のラックレール(ロッハー式)登山鉄道である。運行は5月から11月までで、積雪状況により毎年運行開始と終了日が変わる。ルツェルン近郊でピラトゥス山北側の麓に位置するクリエンスからも、ピラトゥス・クルムまで空中パノラマ・ゴンドラと空中ケーブルが結んでいる。登山鉄道が運休する冬期でも、クリエンスからのルートを利用して山頂駅まで上がることができる。
列車でフライブルクに戻る。フライブルク泊
6月22日 列車でティティ湖(Titisee、海抜840m,40mの深さ)へ。氷河期にフェルトベルク(1493m)から押し出した氷河によって造られた氷河湖。
シュヴァルツヴァルト散策。黒い森最高峰、フェルトベルク(1493m)登山
へとへとになるほど山登りを堪能する。とにかく美しい。さわやかで、頂上付近にあるフェルト・ゼーという湖をめざしさらに頂上のフェルト・ベルクのリフト乗り場まで登る。途中、鉄道の駅で昼食。
ホテルは無人で、前もって、ティティ・ゼーで食事を執る。翌朝家族が自宅から現れて、非常にアット・ホームな感じ。
シュヴァルツヴァルト泊
6月23日 シュヴァルツヴァルト、フライブルクからハイデルベルクへ
ハイデルベルク市内観光、古城、哲学の道 Wikiによると「ライン川とネッカー川の合流点近くに位置する。ネッカー川及び旧市街を見下ろす高台にあるかつてのプファルツ選帝侯の宮廷であった城跡や、ドイツで最も古い大学ループレヒト=カールス大学で知られ、世界中の数多くの観光客や学者を惹きつけている。人口140,000人強のこの都市はバーデン=ヴュルテンベルク州で5番目に大きな都市である」。郊外にはかつてはアメリカ・ヨーロッパの司令部があり,アメリカ人の観光客が闊歩していた。今は2013年にドイツのヴィースバーデン(Wiesbaden)基地が移転した。人口15万人。
上の写真は古い橋、正式名はカール・テオドール橋とハイデルブルク城はルネッサンス様式の重要な建物。部分的には廃墟となっている。このお城ではワイン飲まなければならない。ハイデルベルク泊
ホテルが駅の近くだったが,市内はかなり離れていて、山登りの疲れが出ていた様子。昼食はその途中でスーパーの食堂で執り、晩は有名なレストランを予約する。あるドイツ・ブリュッケから10メートルほど離れたところにある。
6月24日 ハイデルブルクよりダルムシュタット、そしてボンへ
Wikiによると ユーゲント・シュティール都、ダルムシュタットを回ります。ここはかつてはドイツの芸術家のコロニーでした。工芸美術と十九世紀末から二十世紀のユーゲント・シュティール様式の建物見学。その後ボンへ移動
ダルムシュタット(Darmstadt) はドイツ連邦共和国ヘッセン州南部の郡独立市で、ダルムシュタット行政管区本部およびダルムシュタット=ディーブルク郡郡庁の所在地である。この都市はライン=マイン地区に含まれ、ヘッセン州に9つある上級中心都市の1つとなっている。ダルムシュタットは、フランクフルト・アム・マイン、ヴィースバーデン、カッセルに次ぐヘッセン州第4の都市である。最も近い大都市はフランクフルト・アム・マインで北に約30km、ヴィースバーデンとマインツが約40km北西、マンハイムが南約45kmに位置している。
学術都市(この称号は1997年にヘッセン州内務省によって授与された)としての重要性は、1877年に創設された工科大学と3つの専門大学合わせて3万人を超える学生や多くの研究機関、研究所によっている。ダルムシュタットのユーゲント・シュティールの中心地としての名声は1899年にエルンスト・ルートヴィヒ大公によってマチルダの丘に設けられた芸術家村に由来する。
ユーゲント・シュティールの重要な博物館がマチルダの丘のエルンスト・ルートヴィヒ邸内にある芸術家コロニー博物館である。この博物館は1899年から1914年までのダルムシュタット芸術家コロニーの歴史やその作品を展示している。作品は日々の暮らしの中でのスケッチや、ユーゲント・シュティールの芸術作品である。ここ以外にもヘッセン州立博物館の1階にヨーゼフ・マリア・オルブリヒ、ペーター・ベーレンス、アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデといった作家によるユーゲント・シュティール様式の装飾品、家財道具、家具調度品などが展示されている。
しかしマチルダの丘にあるのは過去の様式だけではない。デザイン・ハウス・ダルムシュタットでは、ここに拠点を構えるデザインセンター・ヘッセン研究所e.V.とINTEF(ノイエ・テクニーシェ・フォルム研究所)が交互に展示を行っている。上階には、ブラウンのデザイナーであるディーター・ラムスの常設展示が行われている。
ダルムシュタットは、かつて首都として繁栄した。城の鐘楼にある城館博物館では250年以上の宮廷の暮らしを展望できる。最も名高い展示品は、かつてフランクフルトの納屋に飾られていたハンス・ホルバインの『ダルムシュタットの聖母』である。領主庭園の端にヘッセン大公の時期コレクションを収蔵しているプリンツ・ゲオルク宮殿が周囲の環境と調和して建っている。このコレクションには、世界最大のケルスターバッハ磁器コレクションなど比類のないものが含まれている。ドイツでも数少ない現存するルネサンス様式の狩りの城であるクラニヒシュタイン城には、現在狩猟博物館があり、狩猟用の武器や道具、調度品、および狩りの情景を描いた絵画が展示されている。エルンスト・ルートヴィヒ邸(左)
またドイツの最高の文学賞といわれるゲオルク・ビュヒナー賞はこの町が出している。ビュヒナーはこの町で生まれた。
マチルダの丘催事場とホッホツァイト塔(左)である。
残念ながら修復中だったので、エルンスト・ルッドヴィヒ邸以外は外から見学するしかなかった。
宿泊地 ボン
ホテルはボン日独協会のバーバラ・マイゼ(Barbara Meise)さんとマリアンネ・メンヒ(Marinanne
Mönch)さんにより手配して頂いた。このお二人は2011年に金沢に来られ、石川日独協会の演劇を見られました。
ボン大学のすぐ隣にホテル。夕食後町に繰り出す。
6月25日 移動手段 市電。ボンからケルンへ。ケルン市内見物。ローマ・ゲルマン博物館。ユダヤ人風呂。ケルンドーム見学。ブリュール城 ボンではボン独日協会を表敬訪問します。
ケルン
ドイツ第四の百万都市。州都ではない最大の都市。戦争で被害を受けた。ここには日本文化センターがある。京都と姉妹都市(1963年)。
ローマ帝国によってローマ植民市として建設されたライン川中流の古市であり、ケルンの名はラテン語で植民市を意味する Colonia に由来する。現在でもイタリア語やスペイン語ではこの名前が使われており、フランス語や英語の Cologne も同源である。因みに、香水の一種であるオーデコロン(eau de Cologne) は、フランス語で「ケルンの水」の意。
ローマ時代のケルン。古来からケルン大司教は選帝侯(選挙侯)のひとりであり、ケルンは古代から現代に渡って交易と地域政治の中心として栄えてきた。現在では国際的な見本市や展示会が行われる産業都市の側面も持つ。特にフォト・メッセは有名。ここのユネスコ世界遺産に登録されているケルン大聖堂が町のシンボルであり、ドイツ最大のカーニバルが開催されることでも知られる。ここに来たらケルン・ビーア(Kölsch)を飲もう。小さなグラスで飲ませるので有名。
ケルンのシンボルの世界最大のドーム。このドームは世界文化遺産(1996年)。ケルンにはドイツで唯一の外務省管轄の日本文化センターがある。この都市で見落としてはいけないのはローマ・ゲルマン博物館である。また時間が許せば,ドイツ最大の中世の絵を展示しているWallraf-Richartz博物館も面白い。
上はケルン旧市街の全貌
ケルンからのボンへの途中でブリュール市に立ち寄る。ブリュール市の人口23.428人。このボンのケルンに間にあるブリュール市が有名なのは、ブリュール城(左)の存在である。モーツァルトもこのお城で演奏している。バロック様式とロココ様式の建築史上重要な建物。ケルンの枢機卿アオグストゥス(1700–1761)が建てさせた。枢機卿の夏の狩りの館であった。枢機卿は普段はボンの選帝侯宮殿(現在のボン大学の本館の建物)とポッペスドルフ宮殿を使っていた。ブリュール城(Schloss Augustusburg)は世界文化遺産(1984年)。ここは、ボンが首都であった時は国賓の迎賓館であった。ボン泊
ケルンではケルンの独日協会の会長カール・ハインツ マイトさんと奥様とアデナウアーさんに案内して貰う。アデナウアーさんは名前から分かるように戦後のドイツ宰相の孫娘さんです。
6月26日 かつての西ドイツの首都のロココ調の美しい町並み、ベートーベンの生誕の家、植物園、ボン大学(楠根の学生時代を送った大学)を見学します。ライン博士の墓。ライン博士の地理学講座も訪ねます。ボンは人口31万人。首都の移動で人口が激減した。かつては世界各国の大使館がこの町にあった。ドイツ政府はその代わりにいくつかの企業(ドイツ郵便、ドイツ・テレコム、ドイツ国際放送、DHL)と国連大学、そして美術館や博物館(歴史館)を建設し、いくつかの省庁(6省)はまだ残しているし、大統領府も第二の執務所としてここを使っている。
ボンもケルンと並んで2000年以上も前にローマ人によって造られた都市。ラテン語で素晴らしい(Bonanum)から来ている。ベートーベンの生まれた都市。また表現主義の画家としてアウグスト・マッケも忘れてはならない。私たちが学校で学んだ、ネアンダタール人は,ボンの近くで発見された。子供たちの好きな食べ物でグミがあるが、なかでも世界的に有名なのは、ハリボーのグミである。この会社の本社はボンにあることをご存じでしょうか。
ボン大学はかつては貴族の通う学校として、いまでも学生のなかで貴族の末裔が多い。ライン博士はボン大学の地理学教授で、ここで第一次世界大戦終末の直前になくなり、戦争が終わると,ベルサイユで交渉に当たっていた、西園寺公望と近衛文麿は、ボンのライン博士の未亡人を訪ね,墓を詣でている。因みに近衛文麿の父近衛篤麿は学生時代、ライン博士の所に下宿していた。13時30分よりWinfried Schenk教授が地理学研究所を案内してくれます。彼はライン博士没後100年祭(2018年)の記念号の制作に関わっており、私たちのことが記述されます。またTöpfer教授が町の案内を買ってくれます。
ボン大学の本館でかつての選帝侯宮殿
(右上は、現在のボン大学の本館の建物)。楠根が学んだのはこの城の建物の左側の三階である。ドイツではかつてのお城の多く建物か現在では大学として使われている。下左はポッペスドルフ城で、現在のボン大学植物園となっており、この二つの城をつなぐのがポッペスドルフ大通り(左上)。これは見物です。この通りには多くのロココ風の建物があります。右下の写真はボン大学のライン博士が働いていた地理学研究所。
ボン大学地理研究所歴代所長の写真。右は友人のヴァイアーミュラー氏
ライン博士夫妻の墓
その後、汽車でBad Neuenahr(バート・ノイエンアール)に移動、バート・ノイエンアール泊。このあたりはワインの産地として知られる。
上は市の市壁とアール門は右。
隣町アールヴァイラーでの夕食
アールヴァイラーの町
6月27日 移動手段 ミニバス。手配済み、ホテルの前で待っている。マリアンネが自家用車で迎えに来る。
写真は運転手の人とマイゼとバーバラ、後ろに永井元白峰村村長。ボン日独協会の人達は昼の食事を作ってくれている。
アイフェル地方
Schloss Bürresheim(ビューレスハイム城)マイエン地方にある
ジオパーク関係でアィフェル地方を回ります。アールヴァイラー(Ahrweiler)から- オルブリュク城(Burg Olbrück廃墟,上)を見たら、美しい火口湖のラ-ハ湖(上)のほとりにある、ロマネスク寺院の真珠、マリア・ラーハ修道院(次のページ左)を見学します。展望塔からの眺めは素晴らしいです。
昼ご飯とコーヒーブレークの後にブロールタール谷(Brohltal上)に行き、そこを通って、ブロール(Brohl)で列車に乗り、ライン川の左岸を通って、ボッパルトに向かう。ライン川に面したBoppard(ボッパルト,写真は下)。目の前はライン川。ボッパルト泊
写真はボッパルト
6月28日 移動手段 汽車 早朝、ラオンハイム(Raunheim)市着。
Wikiによるとラウンハイム(Raunheim) は、ドイツ連邦共和国ヘッセン州グロース=ゲーラウ郡に属す市である。フランクフルト・アム・マインの南西約 20 km のマイン川南岸に位置している。市内の見所としては郷土博物館、マルティン=ルター教会、メンヒホーフ礼拝堂、ラウンハイマー・ヴァルトゼー(湖)、吊り橋の跨線橋
下の記事は7月1日のMein Spitze紙の記事
Raunheim01.07.2014
Besuch aus Shiramine in Raunheim
japanische Gäste waren zu Bescuh im Mönchhofkapelle und im "Haus der
unter der Linde"
RAUNHEIM - (mka). Zum zweiten Mal innerhalb eines Jahres hat Bürgermeister Thomas Jühe Besuch aus Shiramine willkommen heißen können. Mit dem vor rund neun Jahren nach Hakusan eingemeindeten Bergdorf Shiramine besteht seit dem Jahr 1997, nachdem Vertreter von Shiramine überraschend in Raunheim eingetroffen waren, eine Städtefreundschaft, die auf der Verehrung des im Jahr 1835 auf dem ehemaligen Mönchhof zur Welt gekommenen späteren preußischen Handelsreisenden und studierten Geologen Justus Reins gründet.
Neunköpfige Delegation
Ein Ziel der aus neun Personen bestehenden Besucherdelegation, die bereits in dieser Woche die Rückreise antritt, war die Mönchhofkapelle. Anders als das Geburtshaus von Rein, das im Zuge der gewerblichen Erschließung des dortigen Areals, damals dem Bau der Caltex-Raffinerie, verschwand, ist die bereits im Mittelalter erwähnte Kapelle erhalten geblieben. Es sei davon auszugehen, sagte Bürgermeister Jühe am Samstag bei der von ihm geführten Begehung, dass Justus Rein die Kapelle betreten habe.
Nachdem sich im vergangenen Jahr der Bürgermeister von Hakusan sowie japanische Wirtschaftsvertreter in Raunheim eingefunden hatten, um die hiesigen Gewerbegebiete in Augenschein zu nehmen und Möglichkeiten wirtschaftlicher Zusammenarbeit zu erörtern, hatte der am Wochenende stattgefundene Empfang nur halboffiziellen Charakter. Neben dem früheren Bürgermeister von Shiramine, Ryuichi Nagai, sowie dem Präsidenten der deutsch-japanischen Gesellschaft, Prof. Shigekazu Kusune, hatten sich die beiden Bergsteiger eingefunden, mit denen Thomas Jühe vor zwei Jahren den Hakusan, einen der heiligen Berge Japans, bestiegen hatte.
Bei dem Samstagabend im „Haus unter der Linde“ organisierten Empfang, an dem auch Magistratsmitglieder sowie Stadtverordnetenvorsteherin Heike Blaum teilnahmen, war auch der stellvertretende Generalkonsul des japanischen Konsulats in Frankfurt, Tadakatsu Ishihara, zugegen.
Der frühere Stadtverordnetenvorsteher Werner Milschewsky hatte anlässlich des Besuchs einen Vortrag vorbereitet, in dem die Geschichte Raunheims im Allgemeinen und die Lebensstationen des in Japan verehrten Mönchhofbewohners skizziert wurden. Die Gäste hatten im Verlauf ihres Aufenthaltes Gelegenheit dem Bahnhofstraßenfest einen Besuch abzustatten und das Heimatmuseum und die Kirche in der Mainstraße zu besichtigen.
下の新聞記事は7月1日のEcho紙
Deutsch-japanische Kontaktpflege
Städtefreundschaft – Delegation aus Hakusan zu Gast auf dem Bahnhofstraßenfest – Formelle Partnerschaft unnötig
Zwar keine deutsche Spezialität, aber durchaus exotisch für japanische Gaumen waren die Crêpes, die die Asiaten bei ihrem Besuch beim Bahnhofstraßenfest orderten. Foto: Rüdiger Koslowski
Eine Delegation aus der japanischen Stadt Hakusan besuchte am Wochenende Raunheim. Ein Besuch beim Bahnhofstraßenfest war Pflicht. Der Kontakt soll weiter gepflegt werden, Praktika von Studenten und Auszubildenden sollen stattfinden.
RAUNHEIM.
Steaks und Fischbrötchen, der Christliche Verein Junger Menschen, die Bürgerinitiative gegen Fluglärm und auch der Motorradstammtisch Rotte 54: Die Gäste aus der japanischen Stadt Hakusan nahmen am Samstag in der Bahnhofstraße die deutsche Festkultur erstaunt zur Kenntnis. Einen Crêpe wollten sich einige Japaner nicht entgehen lassen und bissen genüsslich in die von Sabine und Jürgen Michel zubereitete, allerdings französische Leckerei.
Aber auch die Erläuterungen am Stand der Bürgerinitiative gegen Fluglärm nahmen die Japaner interessiert auf. Bürgermeister Thomas Jühe informierte die japanischen Gäste geduldig über die Funktion und Arbeit der einzelnen Vereine.
Gewerbegebiet und Rheinromantik
Der Spaziergang über das Bahnhofstraßenfest war der Abschluss des ersten Tages des Besuchs der japanischen Gäste aus Hakusan. Zuvor schauten sie sich das neue Gewerbegebiet Resart-Ihm an, das derzeit erschlossen wird, das Gewerbegebiet Mönchhof, die Mönchhofkapelle und die Ölhafenbrücke.
Auf einen kleinen Sektempfang wurde nicht verzichtet. Im Haus unter der Linde gab es bei Sekt und Häppchen einen Vortrag des Ehrenbürgers Werner Milschewsky über Dr. Justus Rein. Am Sonntag stand ein Ausflug in den Rheingau auf dem Programm, bevor die Japaner am Montag die Heimreise antraten.
Dem Raunheimer Forscher Rein ist es zu verdanken, dass die Stadt seit 1997 eine freundschaftliche Verbindung zu Shiramine pflegt. Justus Rein forschte dort in den siebziger Jahren des 19. Jahrhunderts. Das Dorf wurde allerdings 2005 in die Großstadt Hakusan eingemeindet, die Freundschaft besteht auf dieser Ebene, aber auch mit den Verbindungen zu Shiramine weiter.
Der Besuch in Raunheim bildete den Abschluss einer Deutschlandreise von neun Japanern. Die Reiseroute und der Termin wurden bewusst gewählt. Die Japaner wollten unbedingt das Bahnhofstraßenfest besuchen, so Bürgermeister Jühe. „Lassen sie uns gemeinsam über das Fest gehen“, lud der Rathauschef denn auch die Japaner ein. Thomas Jühe freute sich insbesondere, dass sich Ryuichi Nagai unter den Gästen befand. Er war der letzte Bürgermeister Shiramines und ist jetzt Geschäftsführer des Tourismusbüros im Bezirk Hakusan. Sehr begrüßt hat er auch die Anwesenheit von Shigekazu Kusune, Berater der Gesellschaft zu Ehren Justus Reins.
Mit dem Besuch sollte der gegenseitige Kontakt weiter gepflegt werden, so Bürgermeister Thomas Jühe im Gespräch mit dem ECHO. Erst im vergangenen Jahr besuchte eine Delegation um Hiroaki Sakuno, dem Bürgermeister Hakusans, Raunheim, zuvor war Jühe selbst in Japan.
Am Wochenende stand jedoch nicht die administrative Ebene, sondern die freundschaftliche, eher private Ebene im Mittelpunkt. Aufgrund der Entfernung fallen persönliche Begegnungen schwer. In der Regel findet ein Besuch nur alle fünf bis sechs Jahre statt, so Thomas Jühe. Das sei aber bisher kein Problem gewesen.
An einer formellen Städtepartnerschaft würde übrigens auf beiden Seiten kein Interesse bestehen. Der auf Freundschaft basierende Kontakt würde vollkommen ausreichen. Das in den siebziger Jahren entwickelte Modell der stark formalisierten Städtepartnerschaft mit regelmäßiger Konsultation sei heute bei neuen Verbindungen nicht mehr notwendig.
Das Modell mit Hakusan habe durchaus auch Vorbildcharakter für die Städtefreundschaft mit dem chinesischen Stadtbezirk Pixian, meinte der Bürgermeister. Mit dem Bezirk unterzeichnete die Stadt im vergangenen Jahr einen Freundschaftsvertrag.
Hakusan und Raunheim hätten sich darauf verständigt, den Austausch der Jugend zu forcieren, so Jühe. Schüler und Studenten sollen die Möglichkeit erhalten, bei den Stadtverwaltungen und bei Betrieben Praktika zu absolvieren. Es gebe bereits Interessenten.
この記事で強調されているのは公式的訪問ではなくて個人レベル、市民レベルのの訪問という、今回の私たちの訪問がラオンハイム市にとっての新しい交流のモデルとなるとされている点である。友人として私たちが迎えられたことが書かれている。
2泊3日のプログラムはすべてラオンハイムに委せています。
ラオンハイム市表敬訪問 ラオンハイム市のBahnhof祭(左は昨年の祭りの様子)に参加。
ラオンハイム市の観光、
昼ご飯は隣町の Alte Oberförstereで。ここは素晴らしいロケーションとドイツでも指折りのシェフがいる素晴らしいレストラン。
ラオンハイム市の郊外の散策とラオンハイム市の祭り参加。在フランクフルト日本総領事館から、角田主席領事合流。
ラオンハイム泊 ラオンハイム市よりホテル手配済み
6月29日 周辺のラインガオ散策、ワインを飲んだりするのが予定に入っています。
リューデスハイム、リューデスハイムでは,ランゲ氏が駆けつけてくれていた。ゴンドラ、ゲルマニア、ニーダーヴァルト散策、リフト、アスマンスハウゼン、そこから船で対岸のラインシュタイン城の見学と素晴らしい食事会、船でリューデスハイムに戻り、急遽予定を変更して、夕方急遽友人のカルステン・ランゲ氏の招待で、マインツの聖ボニファス教会で行われたバッハのイエスの復活と昇天を合唱団とオーケストラ付きで聞くことができた。私たちの一行は特別席で、最初に私の名前と石川日独協会団体が紹介され、全員に拍手されて音楽会が始まった。これはこの教会ドミニコ会派が牧師を務めて120周年記念、この教会が戦争で破壊され、立て直されて60周年記念、マインツの合唱団で設立30周年記念のも兼ねたもので、ユーヘ市長も同行した。音楽終了後、教会でワインを飲み歓談した。
ラオンハイム泊 ラオンハイム市よりホテル手配済み
6月30日 郷土博物館、ラオンハイムからフランクフルト移動。ルフトハンザ機直行便(LH736)で13時30分発 機内泊
7月1日 7時55分名古屋着
会長はそのまま7月10日まで残り、7月7日にレーゲンスブルクに入り、8日にレーゲンスブルク大学で講演してきます。
7月8日のレーゲンスブルク大学での講演はレーゲンスブルク日本協会の会長ランゲ教授が計画するもので、講演テーマは
Zum geplanen Film über Eigen Herrigel - Ishikawas Connection zu Deutschland
(計画中のオイゲン・ヘリゲルの映画について 石川県のドイツ・コネクション)
この講演会にはバイエルンの弓道連盟会長のマティアス・オーバーアイゼンブッフナー氏(七段)が弟子を二人伴って参加してくれました。楠根はこの人のガルミッシュ・パルテンキルヘンで行った論文を読んでいたことがあったので、会えたことを喜びました。
6月の日独クラブ
「思い出とともにドイツ料理を食べよう」
中島運営委員長企画
日時 6月18日(水)19:00~21:00
場所 ぴるぜん
〒920-098
金沢市片町1丁目9番20号
TEL.076-221-0688
費用 4,000円(ドイツ料理、飲み放題)
内容 写真や映像を持ち寄っていただきながら、ドイツに関する思い出を語っていただく企画。これまでの協会の企画を振り返りながら、今後の企画について語り合いたいと思います。
申し込み締め切り6月15日17時必着
メール連絡は
石川日独協会公式メールアドレスishikawanichidokukyokai@gmail.com
電話ないし葉書による申し込みは
石川日独協会連絡担当:足立英彦
〒920-1192金沢大学人間社会学域法学類
電話:076-264-5383
石川日独協会の皆様の交流新聞を中島運営委員長を中心として、是非とも立ち上げて下さるようにお願いします。多くの催し物はその性格上、会員皆様が意見を述べたり、発表する場が少なく、一方的になりがちで、皆様それぞれのドイツへの思い入れ、体験などがあって、それらを持ち寄ることで、会員の親睦を図りたいという企画をどうか支えて下さるようお願いします。ドイツ旅行組は残念ながら、名古屋に移動していて出られませんが、楽しい会になるように願っています。帰国後に報告会をいたします(K生)。
ドイツ映画
Deutscher Film und eine Diskussion darüber
A German film and talks on the film
2014年5月21日(水)
入場無料 申し込み必要ありません
ドイツ映画『トンネル』2001年
allcinemaの解説によると、
「
1989年11月9日、東西ドイツの統一と東側の民主化を求める市民の力により崩壊した“ベルリンの壁”。1961年に突如出現して以来、ドイツ分断の象徴だったこの壁に隔てられた愛する人を取り戻すため、危険を顧みず壁の下に145mのトンネルを掘り29人を東側から脱出させることに成功したという実話を映画化したサスペンス・ドラマ。
1961年8月、ベルリン。一夜にして東西ドイツが分断されてしまう。西側への人々の流出を阻止するため東ドイツは東西ベルリンの境界線に壁を作ることを決定し、有刺鉄線を張り巡らし銃を持った兵士を監視に当たらせたのだ。これにより、それまで比較的行き来が容易だったために運悪くその時東西ベルリンに別々にいた愛する家族や恋人までもが引き裂かれることとなった。西ベルリンにいたハリー、マチス、フリッツィらは、東側に残してきてしまった大切な人を救い出すためにトンネルの建設を計画するのだった……。」
2001年モントリオール国際映画祭観客賞
同年パーム・スプリングス映画祭最優秀作品賞
同年ドイツ映画祭(ロサンゼルス)観客賞受賞
18時30分開場
19時上演開始
21時50分上演終了
22時閉会
場所 金沢学生のまち市民交流館(ラブロの裏)
金沢学生のまち市民交流館へは次のホーム・ページを参照 http://www4.city.kanazawa.lg.jp/22050/shiminkouryukan/access.html
〒920-0981 金沢市片町2丁目5番17号
電話 076-255-0162
とても長い上演時間にも関わらす、手に汗握る展開で長さを感じさせませんでした。壁は人間を精神的にも物理的にもずたずたにしました。
政治に翻弄され、絶望の縁に立たされ、死を選んだ人も多くいたのです。それでも家族や恋人や友人に会いたいと、トンネルを掘った人々の人間模様が描かれています。ベルリンの壁を東と西ベルリンの両方から見つめ、チャーリー・チェックポイントやフリードリヒ通り駅(この電車と徒歩・車用の2箇所しか入り口がなかった)を通る時の緊張と非人間性を感じ、東ドイツの友達と会うために、東ベルリンで落ち合うしかなかった経験をもつ筆者には、他人事ではない映画でした。皆様は、それぞれのドイツ・歴史体験に重ねて、ご覧になったのではないでしようか。そのうちに東ドイツについて講演会も計画いたします(K生)。
駐日ドイツ連邦共和国大使館公使・ルッツ・ゲアゲンス(Lutz Görgens)博士による講演会兼第7回EU研究会と懇親パーティ
2014年4月23日
Vortrag im Rahmen vom EU-Studium und Empfangsparty/ Lecture in framwork
of EU study and welcome party.
石川EU協会・石川日独協会・北陸ベルギー友好協会共催
gemeinsam getragen von Ishikawa-EU Gesellschaft, Japanisch-Deutsche Gesellschaft
Ishikawa und Hokuriku-Belgien Freunschaft Gesellschaft/ Co-hosted by Ishikawa
EU Assocation, Japanese-German Society Ishikawa, Hokuriku-Belgium Friendship
Society
講演テーマ
投資、第三市場協力と共通のイノベーション: 日独経済協力2014年
Vortragsthema/lecture title: Investition, Drittmarktkooperation und gemeinsame
Innovation: Japanisch-deutsche Wirtschaftsbeziehungen 2014/ Investment,
Cooperation in the third market and invation: Japanese-German relationship
2014
言語 ドイツ語 逐次通訳付き(konsekutive Übersetzung/ consecutive interpretation)
講演内容
日独の経済関係の深化の必要性とその理由、実際の取り組みに関して、日独首脳陣の交渉、日独の相互および第三国への投資、企業の資材や部品の相互調達、イノベーション部門では話は有機エロクトロニックス(OEL)、ドイツ連邦共和国航空宇宙センター(DLR)が昨年二月に日本にオフィスを開設したことからも分かるように、宇宙航空分野でも、協力関係があり、今年度4月16日からマース・エクスプレスがとらえた高解像度3D写真展が日本化学未来館で開催されること、マックスプランク協会と利権化学研究所とがこの二月に研究協力30周年を祝ったことなどで分かるように、非常に緊密な関係を持っている。
その他いろいろ、ゲアゲンス博士が実際に取り組んだことについても言及される見通しです。博士は音楽家であり怪奇小説家であったE.T.A.ホフマンの研究者であったことにとても親しみを感じます。
会員各位
新年度を迎えた4月23日(水)、協会としては約半年ぶりに、外部講師をお招きして下記の要領で「講演会 兼研究会」と「懇親会」を開催いたします。
テーマは経済問題でやや固い感じがしますが、講師(公使でもあります)には分かりやすくお話をしていただく予定です。また、講師ご本人はとても明るい陽性人間なので、パーティはきっと和気藹藹とした楽しいものになると予想しています。
多くの会員の方々のご参加をお待ちしています。
なお、今回は石川日独協会、北陸ベルギー友好協会と共催です。
平成26年2月吉日
石川EU協会会長 浅野周二
・・・・・ 記 ・・・・・
「講演会兼第7回EU研究会と懇親パーティのお知らせ」
石川EU協会、石川日独協会、北陸ベルギー友好協会共催
場所:「金沢エクセルホテル東急5F」
日時:平成26年4月23日(水)
講演:午後6時30分~8:00
講師:駐日ドイツ連邦共和国大使館公使・ルッツ・ゲアゲンス(Dr. Lutz Görgens)経済部長
タイトル:「日本とヨーロッパ、日本とドイツの経済関係」
歓迎パーティ:午後8:00~9:30
パーティ参加費:6,000円(講演会のみ参加の方は無料)
パーティ参加申し込み締め切り:平成26(2014)年4月14日(月)
申込先:石川EU協会 石川日独協会ではありません。
920-1192 金沢市角間町 金沢大学人間社会学域経済学類
西嶋研究室気付 Tel:072-264-5428
E-mail: ishikawaeu@gmail.com
写真は足立理事が撮影
打ち合わせ
講演の様子
懇親会の様子
全国日独協会連合総会
2014年4月21日(月)
連合会総会は、東京の青山にあるドイツ文化センター1階ホールにて、10時から17時開催されます。また懇親会は18時から20時に開催される予定ですが、場所は大使公邸が改築中のため、大使館の事務棟ないしは、総会と同じ文化センターとなる予定です。
参加される方は事務局までご連絡を。会長を含めて、最大3人ぐらいで行きたいと思います。参加希望者が多数の場合は、こちらで調整させて頂きます。
楠根会長が出席
連合会の報告と決議事項のうち、特に報告すべきは、若い会員の獲得と来年はいわきの日独協会に決まったことである。
ドイツの哲学者オイゲン・ヘリゲルについて
Vortrag/Lecture über/on Eugen Herrigel
2014年3月12日(第二水曜日)
非会員の一般市民の参加大歓迎です。入場無料、ただし資料印刷のために、参加される方はは事前に申し込み下さい。
ドイツの哲学者オイゲン・ヘリゲルについての講演(講師 楠根)
Vortrag über Eugen Herrigel
オイゲン・ヘリゲルは『弓道における禅』の作者、哲学者、東北大学後にとエルランゲン大学の哲学教授。日本の禅と弓道を理解した少数の西洋人の一人と言われる。金沢出身の鈴木大拙とも交流があり、ヘリゲルの書物には鈴木大拙が序を書き、鈴木大拙のドイツ語訳の書物には、ヘリゲルが序を書いている。
オイゲン・ヘリゲルの映画撮影が今秋、金沢で行われる予定です。それに関連して、ドイツの映画監督Yan Sornburgが2月末に来沢するかも知れません。その場合は監督を囲む会を催ししたいと思います。
時間 開場 18時
講演開始18時30分-20時30分 Zeit/time 18.30 bis 20.30 Uhr
講演場所 Vortragort/Venue 四高記念館多目的利用室3
Shiko's memorial lecture hall/ Mehrzweckraum der Gedänkstätte des 4. Kaiseerlichen
Gymnasiums
講演会参加の方の申し込みは配付資料の印刷の都合上、必要です。
講演会参加申し込みは
メールの場合は石川日独協会公式メールアドレスishikawanichidokukyokai@gmail.com、
非メール会員は郵便で連絡をさせていただいている足立まで従来通り一報をお願いします。
申し込み 連絡担当:足立英彦
〒920-1192金沢大学法学類
電話:076-264-5383
2014年2月23日 今日の北國新聞朝刊に白山市がライン賞を設ける計画があることが新聞に書かれていました。
劇団アンゲルスの公演
2014年2月22日と23日と24日
2014年2月23日コンサートの案内
石川EU協会会員の熊田様のフランス在住の熊田祥子様(ソプラノ)がオーケストラ・アンサンブル金沢のメンデルス・ゾーンの交響楽演奏に出演なさいます。宜しかったらどうぞ。
ドイツ映画と講演
Deutscher Film und ein Vortrag darüber
A German film and a lecture on the film
市民の参加大歓迎です。申し込みも必要ありません。
2014年2月5日(第1水曜日)
ドイツ映画『シェーナウの想い』(Das Schönauer Gefühl)(60分)と大阪・神戸副総領事イェーガー氏による講演と討論会 通訳付き
Florian Jäger副総領事はこの映画にとても関心が終わりで、映画の企画をなさっています。
開場 18時00分
上映時間 18時15分から19時15分まで(60分)
講演と質疑応答
19時15分から20時30分まで
上演及び講演場所21世紀美術館地下のシアター
会場整理費 一人300円を会場借り上げ費用の一部にあてさせて頂きます。
この映画は大阪・ドイツ総領事館から借り出します。この映画は素晴らしい内容です。ドイツのエネルギー政策の変更が、緻密な市民の手作りの運動の延長上にあることが理解できます。
2011年ゴールドマン環境賞受賞作品
あらすじ
ドイツ南西部、黒い森のなかにある小さなまちシェーナウ市。
チェルノブイリ原発事故後、シェーナウの親たちが、子どもの未来を守るため、自然エネルギーの電力会社を自ら作ろうと決意する。
2008年ドイツ 翻訳;及川斉志(2012年)上映時間;60分
次のホーム・ページに詳しい内容が載っています。
出典
http://www.geocities.jp/naturalenergysociety/
講演終了後引き続き講演と討論会です。
講演はドイツ語ですが大阪神戸ドイツ連邦共和国総領事の飛鳥井さんが通訳をなさいます。
問合せ先
石川日独協会公式メールアドレスishikawanichidokukyokai@gmail.comもしもしくは石川日独協会連絡担当:足立英彦
〒920-1192金沢大学人間社会学域法学類
電話:076-264-5383
フォルカー・シュタンツェル・ドイツ大使がエネルギーシフトについてインタビューの中で語っています。要チェック。
シェーナウの市民が作った電力会社の運動については次の本が詳しい。県立図書館、市立図書館にも置いてあります。
上の写真は映画会場の様子と講演するイェーガー領事と通訳する飛鳥井氏。
政治家や市民サイドの40年近い議論と上の映画のように地域的な成功例の体験があるところに、福島の原発事故が、全政党を動かして最終的に脱原発を決定づけた。長い議論と行動ののちにエネルギーの転換が起こったことに注目しなければならない。脱原発に関しては、福島以前にドイツでは既に決定されてはいた。つまり福島の事故がなくても、決定はされていたが、福島事故により、脱原発のプロセスが加速されたということである。
この映画はドイツ黒い森の小さな町、シェーナウの30年にわたる行動のドキュメンタリーである。風力、太陽光、バイオなどを使った様々な再生可能エネルギーへのシフト、ボイラーの余熱を使って、発電するコジェネレーションなどで、小さな発電所を多く作ることで、原発で作られる電力の購入を拒否した。
理想を追い求め、行動するこの映画を見て、どうしてドイツ人は日本人と違うのかという、観客からの質問に対して、イェーガー領事は、ドイツ人と日本人に違いがあるわけではない。最終的にエネルギーシフトへと脱原発に懐疑的なドイツ人をも動かしたものは、エネルギー・シフトが経済的にペイするというビジネス・モデルへの確信であって、意識の変化だけではなかったと述べた。納得のいく話である(K生)。
翌日の6日にイェーガ-領事、ビガー氏、飛鳥井氏と楠根の四人でメスキルヒと積極的に交流しているかほく市を訪れ、油野市長より歓迎を受けた。宇ノ気町時代を含めると30年の交流になり、かほく市となってからも10周年の節目を迎えて、交流がますます盛んになっており、日独の哲学の交流も行われていることをお聞きした。その後哲学館を大木館長より案内して頂いた。その後昼食を取りながら歓談しました。遠田かほく市教育長・石川日独協会理事様には様々な準備をして頂き有り難うございました。
映画『ハンナ・アーレント』
1月から2月7日(2月5日は休館)にかけて ユダヤ系哲学者『ハンナ・アーレント』がシネモンドで上演中です。
上演の詳細はシネモンドのホーム・ページをご覧下さい
映画の内容はホーム・ページによると
「ナチス戦犯の裁判に関するレポートを発表し大きな波紋を呼んだドイツ系ユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントの姿を掘り下げて描く伝記映画。監督・脚本は、「鉛の時代」で第38回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞したマルガレーテ・フォン・トロッタ。「エム・バタフライ」「ローザ・ルクセンブルク」のバルバラ・スコヴァが苦境の中信念を貫く哲学者を演じ、2013年ドイツ映画賞およびバイエルン映画賞で主演女優賞を獲得した。ほか、「ゲーテの恋~君に捧ぐ『若きウェルテルの悩み』」のアクセル・ミルベルク、「アルバート氏の人生」のジャネット・マクティア、「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」のユリア・イェンチらが出演。」
時間 12時35分と18時15分より
場所 シネモンド
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住所: 〒920-0961 石川県金沢市香林坊2−1−1
電話:076-220-5007
ナチ犯罪は特別な極悪な人間が行ったのではなくて、ごく普通の人間(nobody)がおこなったbanality of evilであると、アイヒマンの裁判を傍聴したハンナ・アーレントが発表すると、ナチを擁護したとアメリカやイスラエルから批判があり、永年の友人も失ってしまう。そのなかでも人道に反する罪は、考えることを止めた普通の人から起こるのだと、大学での失職懼れず主張するアーレントの授業のインパクトに涙が泣かれて仕方なかった。アーレントの恩師、ハイデッガーに対する複雑な感情、自身の迫害の生涯、自己欺瞞と自己防衛すら拒むアーレントの激しさ、こんなテーマを映像化できたことに脱帽。英語とドイツ語が交差するシーンによってアメリカのドイツ人コミュニティ、ユダヤ人社会も見えてくる。まだ見ていない人は是非見て頂きたい(K生)
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講演会
理事会及び運営委員会
Sitzung der Vorstandmiglieder
理事の新年会も兼ねます
und deren Neujahrtreffen
2014年1月22日(水)六時半より21世紀美術館フュージョン21にて
申し込み締め切り1月20日
参加費用2000円 サラダ、メインディッシュ、ワンドリンク込み
理事会参加申込先
石川日独協会公式メールアドレスishikawanichidokukyokai@gmail.comもしもしくは石川日独協会連絡担当:足立英彦
〒920-1192金沢大学人間社会学域法学類
電話:076-264-5383
12名が出席。過去半年の行事と会計報告、次の半年の行事計画を出席された理事の方から提案を受けた。小町様が運営委員になることを承認された。また運営委員会では、次回の映画会の準備の分担などが話し合われた。
理事会の様子。
理事会の様子。上記二枚の写真では当日出席された安藤副会長、小町理事の姿が落ちている。